碇シンジが冬月コウゾウの息子とされる2つの理由
岡田斗司夫は、エヴァの主人公である碇シンジは、冬月コウゾウの息子ではないかという説を上げている。
また、エヴァは「映像化した昼メロ、つまりどろどろの人間関係が絡み合ったSF作品」と前提を設けた上で、以下のように理由を述べている。
- ①碇シンジと将棋をするシーン
- ②碇ユイの写真
理由①碇シンジと将棋をするシーン
理由①については、よく見られる父親と息子のシーンの表現としてキャッチボールをするというものがある。
しかしこれはシンジが内向的である事や、仮にキャッチボールをすると親子である事が明確にわかってしまうため、将棋をするという表現で、親子関係をそれとなく表しているそうなのだ。
一方碇ゲンドウとシンジの間で、共に何か遊びに興じるということは作中ではないため、これは冬月がシンジの父親であるという一つの可能性を示したものとなっている。
理由②碇ユイの写真
理由②については、碇ゲンドウも処分して持っていないはずの碇ユイの写真を、なぜか冬月は持っているということだ。
これは碇ユイが冬月の彼女だったから持っていると考えれば自然なことである。
なお、その写真にはこっそりマリも写っている。
また、なぜ冬月は碇ゲンドウの傍にいつもいるのかという点に関しては、冬月の贖罪の気持ちであり、ゲンドウがユイを生き返らせたい理由は「シンジが誰の子供なのか」をはっきりさせるためだと述べている。
(仮にユイを問い詰めれば、ゲンドウは逆にネルフの関係者との関係の言い合いになるドロドロ愛憎劇になると思われる。)
さらにエヴァの世界観にも言及があり、エヴァは世界の破滅を描いているが、これはシンジという子供で考えたとき、世界のすべてである「両親」の不和や離婚など「自分は誰の子どものなのか?」というのが根本的な考えにあるという。
ゲンドウがシンジに冷たい理由とは?
ゲンドウがシンジに冷酷に当たる理由としても、このシンジ=冬月の子ども説の影響があるとしている。
シンジは、冬月の子どもと断定はできないが、ゲンドウの子どもとも言い切れない、つまりは、母親である碇ユイしか真実がわからない状況である。
ユイの子どもであるシンジに対し、ゲンドウは自身の中で迷いがあるため、シンジはゲンドウにとって「自分の息子」かもしれない一方で、碇ユイが「自分を裏切った証拠」とも考えており、疑心暗鬼である結果がその扱いにつながっているという。
そんなゲンドウに対し、冬月は申し訳なさと責任を感じており、ゲンドウの傍でサポートすると決意しているというのだ。
まとめ
碇シンジ=冬月コウゾウの息子説、ありえなくない話に思えるが、エヴァを昼メロと前提条件を設定してしまうところに、岡田斗司夫の観察眼がすごいと思う。
このエヴァ昼メロという前提ならば、エヴァの世界観の疑問点や矛盾が納得できるような気がしてならない。
しかし、この説には「エヴァを作る技術があるなら、DNA鑑定で親子関係をあきらかにできるのでは?」という疑問が出てくる。
この点を考えると、エヴァのパイロットの情報はネルフが入念に調べているだろうから、司令であるゲンドウもシンジとの遺伝的な関係性も把握しているというのは当然である。
そうなると、シンジが冬月息子説は揺らぐようだが、エヴァ昼メロ論で考えると説全体は揺らがないようにも思える。
というのは、依然として「冬月と碇ユイに大人の関係性があり、結果としてゲンドウを裏切っているのではないか?」というゲンドウの疑心暗鬼な部分は変わらないからだ。
碇ユイにこの点を確かめるためにも、彼女を生き返らせようとする目的に違いはないだろうし、冬月のゲンドウへの責任感は、碇ユイとの関係性が、依然としてあいまいなままであるところからも、消えることはないだろう。