オーラ力、無限力とは?
『機動戦士ガンダム』をはじめとして、富野 由悠季作品には独特の言い回しや表現などが用いられ、それらは「富野節(語録)」として知られている。
当然、『聖戦士ダンバイン』や『伝説巨神イデオン』にもこの富野節は用いられているが、この2つの作品にはある「力(ちから)」が物語に関係している。
今回はその2つの「力」について考えてみることにした。
①ダンバインのオーラ力
『聖戦士ダンバイン』においては、主人公ショウ・ザマをはじめとして多くの機体(オーラバトラー・マシーン)が登場する。
そして、それ等を動かすのに「オーラ力(ちから)」が必要であり、ダンバインのOP等でも強調されているほど、重要な用語である。
これは、生体エネルギーの一種で、力の強さは持ち主により様々であり、一定ではなく、感情の起伏、状況(環境)に大きく左右され、地上やバイストン・ウェルといった世界を満たしている。
またこの力がある程度に達すれば、上記のマシーンを操作することができるが、使い方を誤れば「ハイパー化」し、力が暴走してしまうこともあるのだ。
イデオンの「無限力」
一方、『伝説巨人イデオン』では、「力」を「ちから」と呼ぶ、「無限力(ちから)」が存在している。
無限力の源は、第6文明人の「意志」そのものであり、イデオンやソロシップの構成金属「イデオナイト」を媒介にして、その力を発揮するものである。
「無限力」自体は単なる「力」だが、ここに「意思」が加わることで、力が発現し、ここに、同じ方向性の意思が増えることで、その発現は拡大していくのである。
例えるなら、空気という力を、風船という(ある限定された)1つの意思に詰めるようなものだろうか。
風船を大きくしたいと思えばどんどん空気が入り、その力=風船の大きさ、は拡大していくのだ。
どうしてオーラ、無限「ちから」と呼ぶのか?4つの理由を考えてみた!!
上記の2つの作品に関わる「力」について簡単に説明したが、ここで疑問が残る。
なぜ「オーラ力」と「無限力」の2つとも「力」を「ちから」と呼ぶのだろうか?
別に「りょく」、「パワー」、「ぢから」等の呼び方でも問題はないのではないだろうか?
「富野節」だから良いんだ!!と言われればそれまでだし、富野監督のみ知る所ではあるが、一応それらしい理由を考えてみることにした。
- 分かりやすさを出すため
- 発音しづらいから
- 印象付けるため
- 日常とは違うことを演出するため
理由①分かりやすさを出すため
誰も「オーラ力」と「無限力」といった用語は知らないのが前提で、作品は作られているため、「オーラりょく」「無限りょく」と紹介されても、すぐには何のことか分からないのではないだろうか?
そこで「オーラちから」「無限ちから」と呼ぶことで「ちから=力」と、解りやすさを演出するため用いたのである。
理由②発音しづらいから
ファーストガンダムの物語後半で、赤い彗星シャア・アズナブルは少佐から「中佐」をふっとばし、「大佐」へと大出世する。
しかしその理由に、声を充てる声優が「しゃあちゅうさ」と発音しづらいため、変更を加えたというエピソードがあるのだ。
このような理由から「オーラ力」、「無限力」も、発音のし易さを重視して「ちから」と読ませたのではないだろうか?
理由③印象付けるため
「オーラりょく・パワー」や「無限りょく・パワー」という表現は、多くの人にとってそれほど違和感が沸かないのではないだろうか?
「〇〇りょく」で始まる言葉も多く、「パワー」も外国語だと割り切れば不自然に感じないものだろう。
しかし、敢えて「〇〇ちから」と呼ぶことで、その用語に違和感を覚えた結果、受け手(視聴者・読者)に印象付けるのが目的だったのかもしれない。
理由④日常とは違うことを演出するため
例えば、普段サラリーマンとして働いている人が、ある日裁判員に選出され裁判に関わることになる。
そうなれば、法律用語など聞きなれない専門用語を耳にすることも多くなり、裁判に携わる間、サラリーマンにとっては非日常的な世界にいることになるのだ。
この上記の例えのように、意図的に「力」を馴染みの無い「ちから」と呼ばせること(専門用語?を使うこと)で、違和感を持たせ、日常と異なる世界の雰囲気を演出する手法として用いたのではないだろうか?
このような、馴染みのない用語で非日常を演出する手法は、古今東西いろんな作品で用いられているため富野監督もそのような意図があり「ちから」としたと考えるのは不自然ではないだろう。
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まとめ
- オーラ力:生物が持つ生体エネルギーそのもの。さまざまな要因(環境)にその力の大きさは左右される。
- 無限力:第6文明人の「意志」そのもの。力だけでは不十分で、「意思」の関わり方にその力の発現度合が大きく左右される。
- 「力」を「ちから」と呼ばせたのは意図的に行ったためで、本意は本人のみが知る所だが、その影響力は小さくない。